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慶應大学SDMでデザイン思考について学んでいるものの、
いまいち「デザイン」という言葉にピンときていない。

「デザイン」ってそもそもアート系の人達がいう言葉だし、
それに僕は新商品を開発する部門の人間でもないし。
だから、デザインといわれても、どうも別次元の話として
受け取ってしまうことが節がある。

で、先日「新経済サミット2013」でMIT Media Lab所長の
伊藤さんによる気になる記事を見た。

「社会全体を真ん中から変えるのではなく、端っこの変なヤツを応援する。
変な人はすごく価値があり、変な日本人は結構多い」

「“おりこうさん”を作る日本の教育が、クリエイティブな人材を殺している。
権威を疑って勝手にやる、やってから仮説を考えるような人材が必要。
クリエイティビティをアンロックしないといけない」と話していた。

なるほど。
言葉尻だけど、この「変なヤツ」というフレーズは、響きがいい。
たしかに、時代をエポックメイクする人は、
マジョリティではなく、マイノリティだし。
ガリレオや、カントやエジソンも変なヤツだったといわれてたけど
時代を作り上げていた。たしかに変なヤツには価値があると思う。

それから、「権威を疑って勝手にやる」というフレーズも素敵だ。
福沢諭吉も「独立自尊」、時代の潮流や政治権力を迎合せずという
独立することを提唱していたし、「躬行実践」、学ぶだけでなく、
実践して、また学べといっていた。

僕自身、「普通だね」といわれるより、「変だよね」
といわれる方が嬉しいと思っている人間だし。
それに権威的な諸先輩方にも平然と文句を言い続け、
常に「生意気」だと言われながらも、やりたいことを
やり続け、それなりに四半世紀を過ごしてきた

言葉尻への共感かもしれないけど、もしかしたら、
僕がやったことや生き方もそれなりにクリエイティブと呼べるもので、
それなりに人生のデザインをしていたのかもしれない。
そういえば大学時代はデザインやらアートやらに関心をもって、
色々なことに興味を持ちながら、大学生活を送っていた気がする。

けど、社会人になってから、目先のビジネスに追われ続け、
クリエイティブやらデザインやら、かくのような言葉に関心を払わずに過ごしていた。
あるいは、自由に拡散するよりも、思考を凝縮して硬直化させた方が、
ビジネスがしやすいとまで感じ、「デザイン」という言葉に、
嫌悪感すらを感じていたようにも思える。

どうやら僕は同じ思考のループをぐるぐるとまわっていたようで、
そしてそこから抜け出せずに、いつのまにか日本人の
典型的なマジョリティになってしまったのではないか、と感じた。

せっかく慶應SDMに行っていることだし、どうだろう、少しリベラルに
デザインの言葉を捉え直して、もっと違った観点からデザインを学んでみては。
そしてビジネスやプライベートや人生のデザインしてみては。
と、この記事を読んで自分自身に問いかけてみる。

きっとデザインってのは、そんな単純な「きっかけ」で始まるものに違いない。
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